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今日から牧場に研修にいってきまつ(´・ω・`)
夏休み期間中はログインできない可能性大っぽい
携帯からBlog書くかもしれないからヨロ
注
ここから先は長文です。
ちなみに画像は俺のLOVE HORSE
音速の貴公子 サイレンススズカ
日本競馬における最強の逃げ馬と評される馬である。
スタートから猛烈に飛ばし、5馬身以上の差をつけどんどん逃げるこの馬・・・
そして後ろの馬はいつになってもおいつけないという最強伝説・・・
そして4歳夏・・・春のグランプリ宝塚記念これが最初で最後のG1レースの栄冠となった・・・
毎日王冠では後の名馬グラスワンダーやエルコンドルパサーを子供扱いする大楽勝・・・
そして11月1日11レース天皇賞(秋)1枠1番1番人気単勝1.1倍
1が並ぶ・・・
そこに1着の文字が並ぶと・・・全てがサイレンススズカの1着を予想していた・・・
当然のごとくサイレンススズカは2番手以下を大きく突き放していく・・・
同じ逃げ馬のサイレントハンターも追走できるはずもなくサイレンススズカは他馬を寄せ付けることなくただ一頭飛ばしていく・・・もう勝ちは決定したと思われていた・・・
しかし第3コーナーに差し掛かるとき誰もが予想しなかったことが起こる。
サイレンススズカ鞍上の武豊騎手が立ち上がりサイレンススズカを止めている・・・
故障だった・・・首を左右に振りながらも走り続けるサイレンススズカを武豊は必死に静めていた・・・
そして下された診断は左前脚手根骨粉砕骨折・・・早い話が予後不良・・・安楽死である
13万人という大観衆の前で非情すぎる運命
ラジオではサイレンススズカの予後不良を知らせる報告を泣きながら報告していたらしい
最強の逃げ馬は伝説の逃げ馬としてこの世を去った・・・
アイルトン・セナが死んだ日に生まれ、鈴鹿サーキットでF-1日本グランプリが開催された日に死んだ・・・
まさに伝説に残るために生まれてきた馬のようである。